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令和5年5月時点の情報です

栄光の歴史

 明治33年に創部、令和2年には120周年を迎えました。この間、選手権地方大会に第1回から皆勤出場、甲子園出場24回、特に昭和35年の選抜大会では、山陰勢過去唯一となる決勝戦進出を果たすなど、選抜大会を中心に、全国舞台でも活躍してきました。

 昭和35年に春夏連続出場以降、夏の甲子園からは遠ざかっていましたが、昭和58年に殻を破ると、61年、平成元、3年と出場し、夏の強さも取り戻しました。平成以降の勝ち星は、8年選抜での1勝にとどまりますが、今なお、地元米子をはじめとする皆さんの大きな期待を背負いながら、再び甲子園の桧舞台でかつての強さを発揮できるよう活動しています。

 夏の選手権鳥取大会においては平成29年に久々の決勝進出。その後、平成31年選抜大会で23年ぶりの甲子園出場を果たすと、夏の鳥取大会では28年ぶりの優勝を遂げ、59年ぶりの春夏連続甲子園出場を達成しました。令和3年は選抜補欠校(秋季中国3位)となった悔しさを胸に夏を制するなど、久々の甲子園での校歌が目前に迫っています。

理念追求

 部の理念として、「日本一を目指す野球部員として 地域に誇りと幸せと感動を提供し 米東野球を通じて社会貢献を行う」を掲げています。

 山陰勢として唯一、甲子園で決勝まで進出した​米東野球部が目標とするのは、先輩を超える日本一。甲子園で上位進出するチーム・選手と、今の米東野球部、そして自分を比較し、最短でその差を埋めるための努力を続けます。入部時から、とてつもなく上手な選手はそうはいないものです。体力、技術ともに劣る選手も入部してきますが、1、2年後には、しっかりと戦える実力をつけ、活躍しています。

 米東球児として相応しい姿と、チームの勝利を目指します。そして、支えてくださっている地元の皆さんに恩返しをします。

「野球」と「進学」、どちらの夢もかなえたい!

 青春時代の夢である「甲子園出場」と、弁護士や医者、公認会計士、国家公務員などの難関の職業、会社経営者など、将来の夢をかなえるための「進路」。そのどちらも現実的に追うことができる、全国的にも数少ない学校です。

 野球も勉強も、目標を設定し、計画を立てて実行、反省するというサイクルは同じです。3年間という限られた時間の中で、正しい方向へ努力することで最大限自分を成長させ、どちらの夢も実現させましょう。

科学的な取り組み

 野球界に受け継がれてきた感覚的な技術論を見直し、科学的根拠のある、そして再現性があり選手により当たり外れのない理論による指導、及び技術獲得を目指します。プロ野球の元コーチ(動作の専門家)からの定期的な指導も受けています。

野球振興 ~未来の野球界のために

 野球競技人口は急激なペースで右肩下がりを続けています。鳥取県内では、人口減少の約4倍のペースです。子どもたちに、野球の楽しさを感じてもらうため、保育園、学童保育などを定期的に訪問し、野球の普及活動を行っています。一人でも多く、野球に興味を持ってもらえればうれしく思います。また、学童野球(小学校)チームとの合同練習も行っています。

県外からも入学できます!

 校区外(鳥取県外)中学校卒業の方でも入学が可能です。現在も、親元を離れ入学した生徒が在籍しています。当クラブとして、入学後の住居、食事などについては、できる限りの支援(紹介)をします(詳細につきましてはお早めにお問合せください)。

お気軽にお問合せください

 当サイト掲載事項、ならびに受験などにつきまして、ご不明な点がございましたら、当クラブまでお問合せください。可能な範囲で回答させていただきます。

(当サイトからは、「当クラブ→お問合せ・取材依頼」からご連絡いただけます。)

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